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競馬予想 無料 菊花賞 GⅠ エピソード
競走不成立
1944年の第7回は第二次世界大戦中に能力検定競走として
長距離特殊競走の名で施行され、
第13回東京優駿競走の
優勝馬カイソウが3:30 4/5(当時は時計が1/5秒表示)の時計で
クリアズマに3/4馬身の差を付けて勝利、
競走も終わり騎手も検量室に引き上げ検量を終えた時、
審判団から競走の不成立が申し立てられた。
不成立の真相は第6回競走のコースが内回り1周・外回り1周だったのに対し
第7回競走は内回り2周に変更されていたのだが
主催者側の日本競馬会の伝達不備で全出走馬が
前回と同じコースを通過、
規定の3000mよりも100m程多く走ってしまったのである。
これにより1944年の第7回は競走不成立により全出走馬が失格、
改めて1946年に第7回が行われた。